大道珠貴「傷口にはウォッカ」

mike-cat2005-03-31



ひとことで言うと、何だかヘンな小説だ。
まあ、よくも悪くも大道珠貴
フワフワした感じだけど、どっかなまぐさい主人公に、
つかみどころのないストーリー。
最初から最後まで、不思議な感覚に包まれたまま、何となく進んでいく。
もちろん、僕がそう感じるだけで、読む人が読めば、
〝ここに主人公の感情の変化が!〟とか、そういうのあるのかもしれないけど…


ただ、僕がこの作家に感じる魅力は、やっぱり
〝脱力してるんだか、してないんだか、よくわからない〟キャラクター描写だ。
主人公の母親からして、ヘンだ。
若い頃といっても結婚後、駆け落ちをしていたことがあるという。
相手は父も知り合いだった、という19歳。
ある日、帰ってきた母があっけらかんと言い放つ。
「まだまだケツが青かったわ」。
だからといって、この経験を通じて、母の中で何かが変わるわけではない。
さまざまな人と恋愛を重ねていく。
これに対する父の反応は
〝「まあ、妖怪だからな。あの人は」と寛容なのか無関心なのか、
 一度も声を荒げて怒ったことはない。
 父自身は、女っ気のない暮らしぶりだ。趣味に邁進する。〟
まことに飄々とした人たちだ。


こういう人たちに育てられると、
やはり既成のワクにはまったような人間はできないようだ。
〝しびれたり、痛さを我慢したり、耐え忍ぶことが、わたしは好きだ。
 注射や歯医者も、子供のころから好きで、わくわくした。
 インフルエンザの注射のあの痛みには、
 背筋がぴんと伸びて脳天まで貫かれたようになった。
 風邪をひいておしりに打ってもらう注射も、よかった。
 やわらかい肉を医師がよくもんでから、ぶすりと針を刺し、
 針を抜いてまたもむ、その痛みはお尻全体に広がっていき、
 しばらく起きあがれない。痛みを耐え忍ぶのがたまらなかった〟


自虐的な趣味ってのは、まあ決して珍しすぎることはないんだろうけど、
あんまり子供のころからそれに目覚めてるってのも、すごいかも。
まあ、奔放な親を見て育てば、
〝普通なら、こう感じる。こう感じないといけない〟という、
既成の感情に縛られるようなことがないから、ということか。
決して、悪いってことではない。むしろ、いいことではあると思う。
しかし、現実に注射でもだえ喜ぶ子供を見たら、
こちらとしては、どう反応すべきか、ちょいと悩みそうなものだが…
ま、なるほど、タイトルの理由がよくわかる。
傷口にウォッカをぶっかけるなら(こころの傷にがぶ飲み、かもしれないが)、
そりゃ、痛みはかなりのものだろうし…


キャラクター描写とは違うが、もう一カ所、引用する。
これまたつかみどころのない父のことを紹介するくだりだ。
たいしたことはない、交通事故にあった時のこと。
〝夜、酔っぱらって飲み屋から帰って来ていて、
 うちの前で、野菜を運搬する小型トラックにぶつかったのだ。
 あのとき、近所のひとたちが、わらわら見物にやって来た。
 パジャマのうえにカーディガンをはおったおばさん、
 ランニングシャツのおじさん。
 その顔ぶれは、うちで飼っていた犬が、これまた車に足を轢かれ、
 きゃんきゃんと泣きわめいていたときに見物に来たのと、ほぼいっしょだった。
 わたしはそれらのひとびとを、
 「ああ、世間ってこういう範囲をいうんだなあ」と思ったっけ。〟
これなんかも、ストーリーの進行上は特別な意味はなさない。
しかし、なるほど納得がいくというか、笑ってしまうのだ。
もちろん、こういう状況でこんなこと考えているのもヘンだが、
人間って意外とこんなもんかな、という気もする。
ほら、何だかけっこうシリアスなシチュエーションなのに、
全然関係のない、瑣末なことに目がいっちゃったりすること。
まあ、それをこうして小説の味わいに転化するあたり、
やはり、この作家はなかなかやるよな、と感心もさせられるんだが。


そんなこんなで、こうした妙な感覚がみちあふれたこの作品。
満足感という意味では少々きついが、
まあ、面白かった、の部類に入れていいと思う。
文庫になってからで十分? と尋ねられたら、
首を縦に振るしかない、ってあたりが、やっぱり微妙ではあるんだが…