栗田有起「マルコの夢」

mike-cat2005-07-22



そういえば、もう名古屋から戻ってきたのだが、
名古屋の書店店頭で「すばる 2005年 05月号」を見かけた。
栗田有起芥川賞候補作「マルコの夢」掲載号。
本になってから…、と以前買い控えたことも忘れ、手に取ってしまう。
読んでみると、どうも名古屋も舞台のひとつとなっている。
なるほど、あの平積みは、地域愛だったわけだがね。


物語は、パリ16区の三つ星レストラン「ル・コント・ブルー」で幕を開ける。
一番の名物ムニュはキノコ料理。
マルコ・ポーロの山隠れ」と名付けられた料理は、特別な客にしかサーヴィスされない。
料理批評家のポワチエ氏いわく
〝すべてを兼ねそなえ、完璧な調和にたどりついた神仙との邂逅である〟
就職活動にことごとく失敗し、パリで事業を手がける姉夫妻のもとに渡った
主人公・一馬は、あるきっかけから、そのレストランの下働き兼キノコ管理担当となる。
マルコ・ポーロ〜」に使われるキノコ、通称「マルコ」が、
採れる量が制限され、仕入れ値も含めトリュフ以上に珍重されているからだ。
そして、ある日、一馬はそのキノコをめぐり、
パリ、名古屋、東京をまたにかけた、旅に出ることになる。


お縫い子テルミー」「オテルモル」に続く、お仕事物語、といったところか。
当然、レストランでの一馬の仕事については、ユーモアたっぷりに、ねっちょり描かれる。
貴重なキノコを管理するので、キノコ室の鍵も持たされている。
〝鍵を持っているのはオーナーと僕のふたりだけだ。
 なくしたらセーヌ川に沈めると言われているので、
 いつも首から下げ、体から離さないようにしている。〟
東京のヤクザ屋さんが東京湾なら、パリのレストランオーナーはセーヌ川か。
そんな言い方、フランス人するのかな…と一瞬思ったが、
NYを舞台にした小説でも「ハドソン川に〜」というのを思い出す。
いや、世界共通の概念って、あるもんだな、と妙な感心をしたりする。


そのレストランの、下働きの同僚も、とてもヘンだ。
ひとりは、いつも割れたメガネをかけているギヨーム。
一家揃って、いつも同じ店で買っているらしい。
「いい眼鏡屋を見つけたんだね」と訊かれると、こう答える。
「眼鏡屋の主人がいい客を見つけたのさ。僕らは眼鏡に目がないから、かなりの得意さんだ」
はあ、さいですか…
で、レンズの割れ目にも、当然こだわりがある。
彼の父は、素晴らしいヒビを作ることができるらしい。
で、ギョームの悩みは目下、そこにある。
「レンズを割るのは昔から家長の役目だ。
 独立したのだから、僕はじぶんのをじぶんで割ることに決めたけど、
 なかなか満足いくようにはできない。まったく気に入らない」
何でそんなとこにこだわるのか、いわく「神秘」らしい。まことに香ばしい人物だ。


もうひとりのピコリは、スイス国境の村出身。
パリに来て驚いたのは、山羊よりヒトが多いことと、女性が美人ばっかりなこと。
だから、ピコリは美しいヒトを見つけると、いつも用意している色紙にサインをもらう。
住所も、電話番号も訊かない。
女性がそれらを書いたら、その部分を切り取り、燃やしてしまう。
食事はおろか、お茶すら一緒にすることはない。
相手に誘われても、ノン、ノン、と首を振る。
好みのタイプは、15歳以上なら上限なし。
〝ただ瞳は濡れたように光ってほしい。表情はできれば乏しいほうがいい。
 彼女のひととなり、これまでの人生、
 そして現在、いったいどんな生活をしているのか、これから何をしようとしているのか、
 あれこれと思いを巡らせる余地が大きければ大きいほど、彼女の魅力は膨らむ〟そうだ。
変態だよ、真性の(笑)。害がないということだけが、救いだ。


こんなヘンなヒトたちは、職場だけにとどまらない。
名古屋に住まう、母だがねに、ひととこに落ち着けない父などなど、
まごう事なき変人が、物語のすみからすみまで詰まっている。
そんな変人に囲まれ、キノコに踊らされながら、一馬がたどる自分探しの物語。
パリから名古屋、東京へと舞台を移し、迎えるクライマックスは正直、かなり突拍子もない。
もっと、パリのレストランにしぼった物語のほうが、
物語そのものに濃密感が出てきて面白かったんじゃないか、という気もする。
(もちろん、それはファンのあくまで勝手な願望だけど…)
だけど、やっぱり栗田有起独特の、ぐにゃぐにゃねじれた物語世界は楽しい。
川上弘美のそれ、とはまた違った魅力のオーラが放たれている。
すばる文学賞受賞作「ハミザベス」以来、
描き続けられてきた、栗田有起の不思議な物語世界。これからも、とても楽しみでしかたない。