山本一力「蒼龍 (文春文庫)」

mike-cat2005-04-24



オール讀物新人賞を獲得した表題作を含む、短編集だ。
長編を読み慣れているせいか、ちょいともの足りない感はあるけど、
なるほど、その後の山本一力の活躍が納得できる。


いかにも山本一力らしい短編が、「のぼりうなぎ」だ。
老舗の呉服店・近江屋に奉公する奉公することになった指物職人・弥助の話。
近江屋の七代目当主九右衛門は料亭の三男。
かつては包丁も握っていた職人ということで、
大店をかさに着た、近江屋の奉公人たちの意識改革に、弥助を活用しようというわけだ。
この大店根性がすごい。
〝通りすがりの客が店に入ってきても、小僧ですら相手にしないような商いぶり〟。
なんか、銀座だとか、日本橋あたりにいかにもありがちだ。
別に客に対してへりくだる必要はないが、
老舗を鼻にかけて、無礼な態度を取っている店員とかを見ると、
この当主ならずとも、ため息がもれるというものだ。


折しも、越後屋が店先で正札売りを始め、江戸中の評判になった。
当主としては、弥助の職人気質を見習って欲しいところだが、もちろん逆効果だ。
「何でこんな素人が…」の思いを、主人に向かってぶつけられない分、
弥助への嫌がらせはすさまじい。もう八つ当たりも込み。
嫌みを言う、小馬鹿にする、嘘を教える…
ここで思い悩みながらも、
自分の信じる道を突き進むのが、正しい山本一力作品の主人公だ。
それは「だいこん」「 損料屋喜八郎始末控え (文春文庫)」にも通じる。


かつての棟梁、征之助が弥助を励ます。
「あんたにしかできないことを、焦らずていねいにこなしていけばいい」
その言葉を胸に、弥助がまずは〝できることからコツコツと〟始める。
どこかの引っ越し屋さんみたいだが、その心持ちのまじめさは全然違う?
〝眠れない掻券の中で、思い至ったのが水屋の直しだった。
 喜ばれなくてもいい。使い勝手がよくなれば、台所仕事が楽になる。
 手入れができるのは、おれだけだ…〟


得意の職人仕事で、建て付けの悪い水屋を直す。
誰が見ているわけでもない。何かをアピールしようとしたわけでもない。
それでも
〝すべてを終えて、ふうっと息をついた弥助は、かすかな香りに気がついた。
 台所を見回すと、柔らかな湯気の立つ湯飲みが見えた。
 わきには升屋の餅菓子が添えられている。〟
こうやって、すこしすこし理解者が増えていくのだ。
現実の世界では、ありそうでありえない。
こうあって欲しい、という人の気持ちを真っ正面からとらえるようなストーリー仕立て。
まさに山本一力の真骨頂だな、と感じさせる。


もちろん、名物?の食べ物描写もいい。
呑み屋の主人膳吉が営む「柿の葉」ので、食事を取る場面。
〝魚皿に載った、せたやき芋が弥助のまえにあった。
 おろした山芋に四つ切りの海苔をのせ、ごま油で揚げる。
 それを串に刺してタレを塗り、焦がさぬように焼き上げたのがせたやき芋だ。
 蒲焼きに見立てた膳吉自慢の一品で、うなぎの半値で食べられた。〟
うなぎもいいが、これもぜひに食べてみたい一品だ。
一度作ってみてもいいかも、とひそかに野望を燃やしてみたりする。


「節分かれ」は、佐賀町海岸で下り酒問屋を営む稲取屋の話。
灘からの〝下り酒〟をめぐる商売で、
先代当主と現当主高之助の意見が対立する。
先代の思惑、そしてみずからの浅はかな考えを悟った時、
高之助は大店を任せられる当主として、成長をしていくのだ。


で、表題作「蒼龍」。
この作者には珍しい、一人称での語りに最初戸惑うが、
すぐに物語の世界に引き込まれる。
自らの賭博と、妻おしのの兄の遁走で借金を抱えた大工の弦太郎は、
日本橋の瀬戸物の大店の初荷売り出し用茶わんの柄の公募に、借金返済の夢をかける。
しかし、そう話はうまくいかない。
厳しい家計の中、やりくりした絵具代もムダになることはしばしば。
いら立つ弦太郎は、おしのとも感情的なしこりを持ち始める。


苦しい、うまくいかない… プレッシャーにも神経をすり減らされる。
だが、ある日ふと気づくのは、自分の本当の気持ちだ。
〝おれが絵を描き始めたきっかけは、借金をきっちりけえすためてえことだった。
 もっとも、これはいまだに変わっちゃいねえ。
 とにかくおれは、大工職人やってるだけじゃあ返しきれない銭を、返そうとして絵を始めた。
 昼間は職人、絵具もねえなかで、
 どんだけしんどく書いてきたかは話した通りさ。
 だがさ、しんどいだけじゃあなかった。
 やってるうちに、次々、思案が浮かんでくる。
 それを描いちゃあ消し、描いちゃあ消しやってるうちに、
 どんどん描くのが嬉しくなってった。
 うまく描けねえのに苛々して、茶碗を叩き割ったりもしたぜ。
 それでも、描けるてえだけで嬉しくなった。〟


そして、周囲のみんなを顔を思い浮かべ、またもや気づく。
みんな、腹の底から嬉しそうに笑っている顔ばかりだ。
〝いまのいままでどうしてこんなにツキがねえんだって不貞腐れてたが、そうじゃねえ。
 描きたい絵が描けて、親方やら孝蔵さんやらに恵まれて、
 しっかり女房に病気ひとつしねえこどもがいて、きっちりおまんま食えて。
 みんな嬉しそうに笑ってらあ…。重てえ気分がすっきり消えた。
 肝心なところで、おれにはきっちりツキがあるじゃねえか。〟
そう、借金は抱えているかもしれないが、弦太郎は幸せだったのだ。
好きなことができて、いい人に恵まれた。
これ以上を求めるのもいいが、何もいじける必要などはなかったのだ。


作家になるべく奮闘していた、当時の山本一力自身と、
その周囲の状況を投影したかのような描写が、とてもこころに伝わってくる。
もちろん、話が美しすぎる面はある。
現実感のない理想論、ともとらえることはできる。
だが、この理想論があってこそ
あかね空 (文春文庫)」のような、深みと苦味が絶妙にマッチした話も描けるのだろう。
当たり前なんだが、
まさに、この作者の原点ともいえる作品だな、と思ったのだった。